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「本質」について語ってみた


今日は「本質」について語ってみたいと思います。

「本質」とは本来、
言葉等では表現できない「意味」、「中身」のようなもの
と仮に定義させていただきます。
始めからなんやら抽象的で申し訳ない^^;

「本質」とはとらえどころがなく、
直接描写して、情報として管理できるものではないと考えます。
ただ漠然としてそこに存在していることは感じる・・・

達人の振る舞いを見てその奥深さを感じる。
薫陶ってやつですね。(軽薄に使う単語じゃないね。すんません。)
よくうたい文句で、「その本質を語ります」なんていうのを聞くことがありますが、
聞く側としては、なにか参考になることがあれば良いな、どんな捉え方をしているのかな、
ぐらいに構えておくのが賢明です。
本質はそのものを表現して、右から左に情報伝達できるものではない・・・

私は「本質」とは「太陽」に例えるのがわかりやすいと思っています。
太陽は直接目で見るものではありませんし(目がつぶれてしまいます)、
直接手を伸ばして触れることもできません。
太陽はただ一方的に私たちの背中を照らしてくれる存在です。
では、私たちは太陽を取り扱うことはできないのでしょうか。

そうでもないようです。
太陽が落とす影(跡_あと)を使えば間接的に表現できます。
影の向きで、太陽の方向を理解して表現できるし、影の長さで太陽の高度も予測できます。
表現の便宜上、影を使えば太陽に関する情報を共有できます。

ただこの影は太陽そのものではありません。
またこの影を使って表現、理解できるのも、太陽の一部の情報、1つの捉え方でしかありません。
この影が、言葉や言語、また音楽や絵画等の芸術であったりするのではないかと考えます。
文章や音楽はそれ自体、本質ではありませんがそれを通して何かを喚起させます。
その捉えどころのない何かが本質なのでしょう。私たちは確かに何かを感じていますよね。
その瞬間に^^。

お釈迦さまのお話で、
「皆は私の話を聞いているけれどその中身を理解しようとしない、
私の指先ばかり見て、その指している先を見ようとしない」というお言葉があるとか。

我々の周りに起こっている一見ネガティブに映る様々な現象も、
その本質は太陽のように我々の背中をただ暖かく照らしてくれているだけなのかもしれませんね。
きれいにまとめてしまった^^。

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